2024/08/02

好みの音

ギターの生徒がとある曲を練習しているのですが、ある特定の音にどうしても違和感があって、曲としてはその音のほうがまとまりが良いのかもしれないと思いつつも、別の音のほうが良いのではないかと思ってしまうと言っていました。なるほどと思います。

作曲家の團伊玖磨さんが、子供の頃ピアノを習っていたときに、クレメンティのソナチネのある部分が気に入らず、もっと綺麗だと思うやりかたに、自分で勝手に直して弾いていたのだとおっしゃっていました。家ではそうやって自己流で弾いていたのですが、ある時ピアノのレッスン中に先生の前で、つい直した自分のバージョンで弾いてしまった。先生はもちろん直ぐに気づき、どうしてそういう風に弾くのかと尋ねられたそうですが、理由を話すと、「あなたには好みがある」「好みがあって自由に弾くことはけっして悪いことではない」等とほめてくれたそうです。團伊玖磨さんはその後、そのまま好みが昂じて曲を書くようになり、結局作曲家となりました。

教える側としては、はっきりとした好みや意見がある場合はまずそれをやらせてみるのが良いと思います。良いアイデアであればそれで良いだろうし、もしそれがあまり良いアイデアでないならば、特別に理論を持ち出さずとも、自ずとわかってくるのだと思います。作品の勝手な変更や改ざんはけしからんと言う人もいますが、過去の作品に対して自由に加筆したり、変更したりということは、伝統的にはごく当たり前に実践されてきた事実があります。

曲のある部分がおかしいと感じるのはある意味で当然だとも思います。いろいろな音楽的、文化的バックグラウンドを持った人みんなが一つのメロディーを同じやり方で弾いて満足するというのはいささか奇妙です。一人ひとりにあった音楽があるのではないでしょうか。

そういう「あそび」や「実験」は、グレード試験等を含む教育システムからは、はみ出してしまいます。残念ながら、あなたのやり方は間違っているの一言で終わりです。しかし、そうやって、何かしらの不満を持っている人たちが、様々に試行錯誤しているうちに、音楽は面白くなり、多様性が生まれてくるのではないでしょうか。

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