2017/03/29

2016年アンサンブルのCD

2016年の冬に行った、アンサンブル企画のCDが出来上がりました。今回のアートワークは、残念ながらこの3月に日本へ本帰国となりましたRちゃんのものです。丁寧に色塗りしてくれたので、ほとんど編集もしませんでした。Rちゃんに描いてくれたお礼にプレゼントしたら、とても喜んでくれました。CDというメディア自体はだんだん使われなくなり、消滅しつつありますが、こうやって一つの出来事を何かしらの形でのこしておくことには意味があるのではないかと思います。

アンサンブルのCDもこれで4枚となりました。一人で完結できるものとは違って、人が揃わなければ出せない音があります。あの時、あの人、あの楽器の組み合わせでなければ出来なかった音がここには収められていて、うまく行ったものもいかなかったものも、よい思い出になると思います。



—ロンドンで一緒に音楽をたのしみましょう— Otonoki Music School 音の木ピアノ&ギター・ウクレレ教室

2017/03/26

世界最大のウクレレ

以前の記事で、ウクレレの魅力の一つがポータビリティ(携帯性・可搬性)だということを書きましたが、今回は逆に、簡単に持ち運べないウクレレについての話題です。

ミシガン州にお住まいのLarry Stumpさんの制作した、3.99mのウクレレが、世界で最も大きなウクレレとして2017年のギネス・ワールド・レコードに認定されました。3ヶ月程の製作期間と600ドル程の制作費がかかったそう。このウクレレは見かけだけではなくて、一応楽器として演奏可能とのことです。弦は、アーチェリーの弓弦とパラコード(パラシュートコード)を使用しているそうですが、普通のウクレレに比べるとやはり音域はずいぶんと低いですね。




—北ロンドンのピアノ&ギター・ウクレレ教室— Otonoki Music School

2017/03/25

楽器をはじめる中学生たち

小さい頃に楽器をはじめて中学生の頃には勉強が忙しくなってやめる、というような話をよく聞きますが、音の木音楽教室では逆に最近、中学生になってレッスンをはじめられるケースが増えています。

中学生くらいの年齢になると、飲み込みがはやく身体的にも大人に近いので、レッスンの進行はとてもスピーディです。特に読譜力の伸びは大きく、小さい頃から何年もやっている子を軽々しく抜いていきます。また、自我も確立し、好きなものが割りとはっきりしているため、興味のあるものを与えると、みるみるうちに吸収していくようです。

ところで、先日とある方に、中学生の息子がピアノに興味を持っているのだが、そのような年齢からはじめるのは少し恥ずかしい、もう遅すぎるのではないかとご相談されました。その方によれば、日本ではそのように中学生からはじめるなんてちょっと変…というような空気があるのだそうです(!)。同じように、音楽はとにかく小さいうちにはじめさせないとモノにはならない、と焦って来られる方も結構いらっしゃいます。これは、早期教育の重要性をうたい、生徒獲得・囲い込みを狙った大手音楽教室間の競争による弊害ではないかと疑っています。

しかし、今まで色々な音楽家を見てきましたが、始める年齢はほんとうに関係ないとおもいます。何を目指すのでしょうか?何を音楽に求めるのでしょうか?小さい頃に親の期待を背負わされ、無理やりさせられたために嫌いになり、全く弾かなくなってしまったというのはよく聞く話です。一方で、15歳でピアノをはじめて音楽大学の教授になった知り合いがいます。17歳からはじめて2年でプロのジャズピアニストになった友人がいます。そのような事は努力次第で十分にあり得る事だし、やってみなければ誰にもわからない事なのです。だから音楽をはじめるのに早すぎても遅すぎるなんてことはありません。本人が自分で決意したときこそが本当はスタートするときなのです。音楽が好きで十分に専心できるならば、はじめる年齢は関係なく必ず伸びるでしょう。


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2017/03/20

ギターの練習をする前に

ギターのレッスンは、他の楽器のレッスンと同じように、簡単で単純なものから複雑なものへと少しづつ順に進んでいきますが、ある段階に来た時に、音が出ない、上手く押さえられないということが突然発生することがあります。たとえば、指に大きな負担を強いる押さえのコードが出てきたときです。そんな時に、地道な技術練習ももちろん大切なのですが、まずはその前に楽器が十分に弾きやすい状態になっているかを考えてみてはいかがでしょうか。

残念ながら新品のギター、特に大手メーカーの量産品の場合は、最も弾きやすい状態に調整されているとは限りません。メーカーとしては音がビビって不良品として扱われないように、多少弾きにくくとも音が確実に出るようにしているのでしょう。クラシックギターの場合は柔らかいナイロン弦ですのであまり問題は出ないのですが、特に、非力な女性が鉄弦のアコースティックギターを弾くとなると、時になかなか大変な苦労が伴う事もあります。

楽器のせいではない、演奏技術がまだ足りないのだから、まずはがむしゃらに練習にはげむべきだと仰られる方もいらっしゃいます。そういうのも大事なことでしょう。しかし、そのように言われる方に私のギターを弾いていただくと、多くの人が、自分のものとは弾き心地が全然違う!とおっしゃられます。せっかくの練習で最大の結果が得られるためには、まずは楽器の調整を含めた環境を整えることが大事ではないでしょうか。


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2017/03/13

強弱記号について (pf)

楽譜上にあらわれる太字のf・pとは、それぞれforte(強く)、(弱く)を意味する省略形です。そのfとpを組み合わせたfp、すなわちフォルテピアノというものもあります。fp(フォルテピアノ)とは通常、強く弾いた(フォルテ)後に、突然、もしくは次第に弱く(ピアノ)するという意味です。一方で、pとfの順が逆になったpfという記号もあります。上記のfpの例から類推すればピアノ・フォルテ、すなわち弱く弾いた後にすぐに強くするということになりますが、実はそうではありません。pfにおけるpはpianoの略ではなく、poco(少し)、あるいはpiu(よりいっそう)の略だということです。つまりpfとはpoco forte(少し強く)、あるいはpiu forte(より強く)の意味になります。


上記の譜例を見てください。マテオ・カルカッシによるギター教本からのもの(Allegretto in F major)です。中段にpf(赤丸で囲んだ部分)が出現しますが、先ほどのピアノ・フォルテ(弱く開始し、強くする)の意味で捉えてしまうと、ギターの音楽としては 意味がよく通らなくなってしまいます。ここではやはり少し強く(poco forte)、あるいは直前のmf(青丸)のセクションよりも強く弾く(piu forte)の意味で捉えるのが自然です。pfで始まる同セクションの終わりにf(黄丸)の指示が出てくることを考えると、ここでは少しだけ強く—あまり強すぎないように—弾くのが良いでしょう。

ちなみに、ダニエル・ゴットリーブ・テュルクは1789年に出版した著書クラヴィーア教本の中で、pfについて「一部の教本で説明されているように、piano forte、つまり弱強を意味するのではない」と断り書きをいれていますが、これはつまり現代の私達だけではなく、18世紀にはもうすでに混乱がある記号だったということを示しています。

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2017/03/07

ウクレレの魅力 (ポータビリティ)

ウクレレの魅力のひとつは、高いポータビリティ(Portability)でしょう。ギターもそうですが、ウクレレはさらにちいさいので、ほんとうにどこへでも気軽にもっていけます。教室に来ている小学2年生の女の子の生徒が、クリスマス会に持っていってクリスマスの曲を弾いたり、次は日本に持って帰っておじいちゃんのためにハッピーバースデイを弾くと言っていました。習ったことが生活の中にダイレクトに活かされていますね。ものものしいセッティングを要するコンサートだけでなく、日常のさまざまな場面で弾けるという意味ではウクレレはとても実用的な楽器だといえるのではないでしょうか。独奏楽器としても、うたの伴奏楽器としても、相手に威圧感を与えること無く、自然に風景にとけこめる楽器です。イギリスはこれから次第に暖かく、よい季節になりますが、ピクニックやアウトドアのお供にもよいかもしれませんね。


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2017/03/06

ベートーヴェン ピアノ・ソナタの初版譜

最近、ベートーヴェン作品を弾かれる方が何人か教室にいらっしゃっるので、この機会にと思い、テクラ社(Tecla)から出版されている、32曲のピアノ・ソナタの初版譜のファクシミリ(リプリント)を購入しました。


現代の、よどみ無くスッキリとした印刷技術に慣れた目から見ると、よく言えば味がある、悪く言えば荒く、不鮮明で見づらいというような印象を受けますが、当時はもっとも細密な印刷技術であったのは間違いないでしょう。少なくとも、それこそが作曲家が考えていた出版譜のすべてであり、自分や他の音楽家に読まれることを想定して創作に励んでいたのです。このような楽譜を、現代のLEDではなく、ろうそくに毛がはえたようなランプの暗がりで眺めた光景を想像してみてはいかがでしょうか?違った音の世界が開けてくるはずです。

ある作品を読み解く上で、初版譜はまちがいなく重要な資料の一つです。ときには最終決定稿として、残されている自筆譜以上の意味を持ちます。様々な出版社から出ている原点版と称されるエディションは初版譜を含む様々な資料を参照しながら編集されていますが、やはりどうしても現代の編集者の視点からは逃れられません。なによりもまず、様々な資料をもって、唯一の「本当の作曲者の意図」を照らし出そうというその態度こそが大変「現代的」であるとも言えるでしょう。一方、当時の楽譜を眺めてみると、たとえばレイアウト一つとっても、現代の要求とは全く違う考えの元に作成・編集されていることがわかります。

本も楽譜もただの抽象化された記号や情報ではありません。それを忘れて、ある部分だけに焦点をあてれば、一方でこぼれ落ちる部分も出てしまうのです。原典版というのは、作品を包括的に、そして手っ取り早く理解する近道ではあるでしょうが、まだ情報として取捨されていない一時的資料に直接に当たるというのは、作品の全体と本質をとらえる上で、大きな意味があると思います。

*テクラ社のブライアン・ジェファリが、現代のエディション(ヘンレ版)とを比較して、いくつか細かな記譜上の違いと、それが音楽解釈に与える影響について述べています。

Why, exactly, this Tecla edition may be useful to pianists.


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2017/03/01

合唱のピアノ伴奏

少し前の話ですが、教室に通う中学生の男の子が突然合唱のピアノ伴奏をすることになったと言いだして、大変驚きました。何しろピアノをはじめてからまだほんの1年ほどで、普段の様子からは、とてもそんな大役を務められないと思えたからです。クラスの中には他にもピアノが上手な生徒はいたものの、名乗り出る人が他に誰もおらず、場の流れで”つい”、立候補してしまったということです。立候補した後、本人もしまったと思ったようです。しかし、自分で言いだした事もあって、それ以来自らすすんで真面目に練習に励み、結局驚くほどの速さでものにしてしまいました。自主性というのは大切だと気付かされます。長い間楽器をやっていても、習得した技を誰かのために使うことができるというのは、なかなかできる事では無いと思います。音楽を通して、自分に自信をもち、物事に前向きになっていけるのは喜ばしいことですね。

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