2026/08/31

作曲のすすめ

ジャン・ジャック・ルソーは、著書『エミール』の中でこのように述べています。

「音楽をよく知るには、それを表現する(演奏する)だけでは足りない。自ら作らなければならない。そして表現することは、作ることと同時に学ばなければならない。そうでなければ、決して十分に音楽を知ることはできないのだ」

私がかつて学んだイギリスのギルドホール音楽演劇学校では、演奏科の学生であっても、成績評価の対象となる試験の中にエッセイと並んで必ず作曲が含まれていました。音楽理論や美学といったバラバラの知識を、一つの作品として結実させる中で実践してみせることが求められたのです。

バッハやモーツァルトの時代、音楽家が演奏家であると同時に作曲家であることは、ごく当たり前のことでした。しかし時代が下り、専門化・分業化が進むと、作曲家は書くことのみを、演奏家は弾くことのみを担うようになりました。それによって技術は極限まで洗練され、高度な表現を獲得した一方で、音楽家としての在り方に、どこかいびつな形を生んでしまったようにも感じます。

ある時、バッハの組曲をすべて暗譜しているほど優秀なピアノ専攻の生徒がいました。ところが、その生徒にごく初歩的な対位法の課題を出してみると、一行も筆が進まないのです。数え切れないほどの対位法の傑作に触れてきたはずなのに、自分で書くとなった途端に、言葉を失ってしまいます。

赤ん坊の頃から言葉を学び、膨大な書物を読み耽りながら、死ぬまで一度も自分の言葉で話したことがない人がいるとしたら、それはとても奇妙なことに思えます。しかし、残念ながら現代の音楽界には、こうした話せない読書家が溢れているのです。

私は折に触れて生徒たちに作曲を勧めますが、実際に書いてくる生徒はほとんどいません。皆「忙しいから」と口を揃えます。きっかけを与えることはできても、その一歩を踏み出させることは容易ではありません。

しかし一方で、何も言わずとも、ある日突然曲を書いて持ってくる生徒がいます。音楽理論も技術もまだ知らない人が書く音には、驚くほど面白い発見があります。音の組み合わせ方にその人だけの奔放な発想があり、こう書かなければならないという気構えが一切ありません。何だかよくわからないうちに作ってしまった――そんな、純粋な初期衝動に満ちています。

作曲の方法がわからないという声もよく耳にします。しかし、本来、作曲に決まった作法など存在しません。

作曲をするというのは、必ずしも作曲家を目指すということではありません。あるいは、特別な才能の迸(ほとばし)りが必要なわけでもありません。私たちが日々の出来事を手記に留めたり、誰かに手紙を書いたりするように、音楽という言葉を使って自分の思いを形にしてみる。それだけのことなのだと思います。




2026/08/23

夏のお楽しみ会・発表会 2026

 先日、名古屋の教室にて夏の発表会をおこないました。今回もまた、子どもの部と中学生以上の大人の部の2部構成でおこないました。

こどもの部はお楽しみ会と称し、楽器の演奏に加え、英語での「大きなカブ」の朗読のほか、子どもたちにアイデアをもらい、みんなで工作などをおこないました。おとなの部では、いつものようにポットラック形式で各自食べものを持ち寄り、演奏後にはみんなで食事をしました。手作りのフォカッチャやカレードリア、ハムやチーズ、トルティージャ、フムス、スコーンなどなどがならぶ、国際色豊かな味をたのしむことができました。

今回は約30名ほどが参加されました。去年に比べて新顔も増え、普段は会ったり会話することがない人たちが交流できてよかったなと思います。次回はまた冬にクリスマス会を行う予定ですので、ぜひご参加くださいませ。




2026/08/09

「ギターの音っていいなあ」

オンラインのレッスン中、最近はじめたばかりの初心者のギターの生徒が、課題の曲を練習している最中にふと手を止めて、このように言われました。

「ギターの音っていいなあ」

難しいフレーズをクリアしたのでも、速く弾けたのでもありません。ごく単純な課題曲でした。けれども、その方は自分の手元から溢れる「音そのもの」に、深く耳を澄ませていたのです。

思い返してみると、私自身も人生で初めてギターを触り、弦をつま弾きながら、全く同じことを感じたものでした。まだ何も弾けず、曲にもならない。でも、ただ弦を弾いて、そこから立ち上がる響きを聴いているだけで、「ギターってなんていい音だろう」と飽きることなく、いつまでも聴き入っていたのを覚えています。

私たちは、楽器を高度に操作して美しい「音楽」をつくることに集中しすぎると、楽器は「音楽を作ることを目的とした道具」である以前に、「それ自体で美しい音を出す装置」なのだということを、つい忘れがちかもしれません。

もちろん上達を目指すことは素晴らしいことですが、「上手く弾けないから」とか「複雑な曲じゃないから」価値がないなどと思う必要はまったくないのです。たとえ指一本で鳴らした一音であっても、そこに耳をすましてみれば、それ以上なにも付け加えることがないほどの完成された世界があります。

自分と楽器のやり取りの間に生まれる響きを、深く味わうこと。それは「表現」というよりは、もっと静かで豊かな「体験」です。

技術を磨いていく過程でも、最初に楽器に触れて音がでたときの、あの純粋な感動をわすれないようにしたいものです。その「いい音だなあ」という実感こそが、何よりも音楽を支える根っこになるのですから。




2026/07/13

足元の音を掘り下げ、世界へと繋ぐ

イギリスのロンドンをはじめとして、今は名古屋と福井、オンラインを通じてシンガポールやアメリカ、ヨーロッパなど、さまざまな場所でさまざまな人に教えてきました。 異なる空気が流れる場所で音楽を教えていると、避けて通れない問いに突き当たります。それは「文化資本の格差」という、目に見えないが厳然とした壁です。

ロンドンのような都市は、長い歴史もあり、世界中からたくさんの多様な人が集まってきます。そういう場所においては様々な文化、芸術、音楽に触れることが非常に容易で、自分で積極的に努力してそういったものに触れようとしなくても、勝手に向こうからやってきます。コンサートホールでは世界的に有名な音楽家のコンサートが毎日のように開かれています。しかも日本に比べれば格安で、さらに学生ならワンコインでみられるようなチケットもあります。美術館などは無料だから、暇つぶしに足をはこんで教科書でしか見たことがない、歴史的名画をみることができる。私たちの隣人はイギリス人、スロヴァキア人、ポーランド人、イラン人、ユダヤ人、トルコ人、日本人などがいました。隣人を通じて、世界の文化や習慣、状況について色々学んだり、考えさせられたりします。

そういう場所に住んでいる人たちに比べて、日本の、とくに地方にいると、文化や芸術に関する情報や、それに接触できる体験は非常に限定的であることを実感せざるをえません。もちろん地方には地方の良さや、そこでしか得られない体験があるという事も事実です。しかし、その「地方ならではの良さ」を肯定することと、世界と地続きであるはずの文化的な文脈から切り離されてしまうことは、全く別の問題です。

心地よい日常の中に安住し、外側の多様な価値観に触れる機会を失ったままでいると、知らぬ間に自分たちの立ち位置を客観視する「物差し」まで失ってしまいます。ロンドンのように異質な存在が隣り合わせに生きる場所では、嫌でも「自分とは違う文脈」を意識させられますが、変化の少ない環境では、今ある景色が世界のすべてであるかのような錯覚に陥りかねません。

私が抱く危機感は、単に地方が文化的に遅れているという単純な比較ではありません。むしろ、「自分たちが何かの文脈の中にいることすら意識されない」という無自覚さへの危惧です。


「知らない」ことの境界線

文化的教養とは、それを知らなくても日々の生活に困るものではありません。しかし教養は、世界の解像度を劇的に変えるレンズであり、同時に自分の外側にあるもの——異なる時間、異なる場所、異なる考え方——と出会うための装置でもあります。

たとえば、バッハの旋律をただ「綺麗な曲」として聴くのと、その背後にある数学的・建築的な構造や、宗教的あるいは世俗的な作曲背景、和声法と対位法の融合、前の世代から何を受け取り、後の世代は何をうけとったかという歴史的な文脈などを知って聴くのとでは、耳に届く情報の密度が全く違います。あるいは、ロンドンの街角で見かけた古い建築が、どの時代の様式で、だれが、どのような思想や美学を背景に建てられたかを知るだけで、ただの「古い壁」が、数世紀前の人間と対話するための入り口に変わります。

教養を持つということは、単に知識の量を増やすということではありません。そうではなく、自分の外側にあるもの——自分とは全く異なる時間、場所、考え方の中に生きた、あるいは今を生きる人々——と出会うための「合言葉」を手に入れるようなものです。その合言葉を知らなければ、目の前にどれほど豊かな世界が広がっていても、それはただの風景として通り過ぎていってしまいます。

「知らない」という状態は、一見すると平穏です。しかしそれは実際には、「選び、参加するための選択肢」そのものが最初から存在しない状態にほかなりません。この状態をあまりに肯定しすぎることは、結果として、世界中で交わされている豊かな対話の輪から自らを切り離し、「文化的な辺境」に留まり続けることを意味しないでしょうか?たとえそこが居心地良くても、その外側にある広大な世界とのつながりを持たないことは、知らぬ間に自らの自由を狭めてしまうように思えます。

こうした「歴史や他者とのつながり」は、何もクラシック音楽や古い建築といった、過去の遺産に限った話ではありません。むしろ、私たちが今この瞬間に享受している日常的な娯楽の中にこそ、その系譜は脈々と息づいています。このことは、たとえば、日常的に耳にするジャパニーズ・ポップスを例にすると、より明確になります。一見、伝統的な教養とは無縁の、現代的な娯楽に見えるかもしれません。しかし、その骨格を成しているのは、数百年にわたって西洋音楽が積み上げてきた伝統的知性そのものです。そのような仕組みについて知ることで、私たちは「ただ聞く」という受動的消費から一歩踏み出し、何世代にもわたる創作者たちとの対話に参加できるパスポートを持てるのです。 たとえ物理的に「辺境」と感じられる場所にいても、私たちは知らず知らずのうちに、もっと大きな世界のコミュニティの音楽的対話の末端に繋がることができます。

問題は、その仕組みを意識することなく恩恵を享受しているだけでは、結果を消費することに留まってしまう点にあります。自分の足元を掘り下げてみれば、そこには必ず世界や歴史へと続く巨大な系譜が流れている。その事実に無自覚であることは、自分を閉じ込めている境界線に気づかないまま、知らぬ間に世界から孤立していくことではないでしょうか。


補助線を引くという試み

私が今この場所でできることは、目の前の人が手にしている「好きなもの」の背後に、世界へと続く一本の「補助線」をそっと引いておくことだと思っています。

それは、いま耳にしているメロディが、実は遠い時代の人々が積み上げてきた和声の論理と地続きであるということを提示することかもしれません。あるいは、聞き慣れないリズム構造を解きほぐして見せることで、自分が知っている音楽の枠組みの外側に、まだ見ぬ広大な表現の選択肢が存在することを示すことかもしれません。

こうした小さな気づきを、日常の隙間に置いておく。 それはすぐに何かの役に立つわけではないし、今はただの「余計な情報」として聞き流されるかもしれません。しかし、いつか彼らが自分の立ち位置を問い直そうとするとき、その補助線がパッと道を照らし、世界を一気に広げる「種」になるのではないかと思っています。

足元の音を、世界という大きな対話の系譜へと繋ぎ直すこと。 自らが選ぶことのできない環境の中で、しかしそこに無自覚に閉じ込められるのではなく、そこから自ら選んで世界と対話するための「言葉」を手渡していくことが大事だと考えています。


2026/04/18

音楽がつなぐ世界と、生徒からの学び

日本語がまだあまり得意ではない海外出身の方や、日本語よりも英語の方が得意な日本人の方、英語学習を兼ねてレッスンを希望される日本語ネイティブの方など、さまざまな理由で、英語でのレッスンを希望される方が増えています。

海外出身の生徒はもちろん、日本人の生徒もまた、海外に興味を持っているだけでなく、実際になんらかの繋がりを持っていたり、多言語を操ったりと、非常にユニークな背景や視点を持っていらっしゃる方が多いです。かつてロンドンで活動していた頃は、人種や国籍など多種多様な背景をもった生徒が来るのが日常でしたが、日本に戻ってからもこうして多様な背景を持つ方々と音楽を通じてつながれることを、とても嬉しく感じています。

先日ギターのレッスンで、フランス人の生徒と一緒にフランス民謡の『月の光(Au Clair de la Lune)』を弾きました。よくギターやピアノの初心者向けの教材に出てくる定番の曲ですが、フランス語の歌詞、その背景やニュアンスを教えてもらうことで、曲をより立体的に捉え直すことができました。まだまだ知らないことがあるし、こうした発見があるからこそ、音楽への興味は尽きることがありません。

こうした経験をするたびに思うのは、講師が知っている知識を一方的に伝えるだけの時間は、あまり面白いものではないということです。昔たくわえた音楽の情報を切り売りすることが講師の仕事だとも思いません。本来、講師は生徒と共に音楽に向き合うなかで、一緒に成長し、変化していくもの、「生徒こそが、良い講師を育てる」のだと実感しています。

2026/03/24

音楽を聴く技術 (ベンジャミン・ザンダーに学ぶ)

日本の教育現場や社会では、古くから「細部を疎かにしない」、そして「正しくあること」が美徳とされてきました。音楽のレッスンの世界でも、間違いを指摘し、それをきちんと修正することが上達への正解だと、教える側の人間も、そして生徒も無意識に信じている部分があるかもしれません。しかし、その「正しさ」への情熱が、いつの間にか欠点を見つけるための鋭い視線へとすり替わり、私たちの音楽への感性を閉じてしまっているように感じることがあります。

イギリスの指揮者、ベンジャミン・ザンダー氏(Benjamin Zander)が語ったあるエピソードは、そうした私たちの聴き方の根底を揺さぶるものです。

インドでの「無反応」という体験

ザンダー氏が、インドで600人のビジネスパーソンを前に講演した時のことです。ザンダー氏は最高の情熱を注いで話をしたのですが、客席は完全に受動的(Passive)で、笑いも反応もありません。彼はひどく落胆し、パートナーに「最悪だった、手応えがなかった」と電話でこぼしました。

ところが、その後のパーティーで観客たちはザンダー氏を熱烈に迎え、人生が変わったと涙ながらに感謝を伝えてきたのです。ザンダー氏は戸惑い、なぜ会場であれほど静かだったのかと問うと、観客たちは言いました。「トップがその場にいる限り、私たちは感情を出すことは許されないのです」

「聴くことの芸術」と双方向の対話

この経験を通じて、ザンダー氏は「聴くことの芸術(The art of listening)」について語っています。

私たちは「演奏の技術(The art of performing)」については語りますが、与えられたものを受け取る「受容の技術 (The art of receiving)」についてはあまり語りません。しかし、演奏者と聴き手の間には双方向の会話があり、それは一つの「愛の関係」なのだとザンダー氏は表現します。

「演奏者にとって、自分がどういう存在としてそこに居るのか、考えてみてほしい」

もし聴き手が反応しなければ、その大切な関係を育むことができず、音楽の成立の極めて重要な部分を逃してしまうことになります。よく見過ごされることなのですが、音楽は演奏する側だけでは成立しえないものなのです。

観客は「敵」か「恋人」か?

今の若い音楽家の多くは、「観客は批判的で、ミスを待ち構えている敵だ」と教えられて育つ傾向があります。もし聴き手が間違い探しをするように聴いているなら、演奏者はそれに応じて萎縮してしまい、ミスのないことだけを目的とした「守りの演奏」になってしまいます。

しかしザンダー氏は、実際はそうではないと断言します。 「観客は演奏者の友人であり、恋人なんだ。彼らはあなた(演奏者)が最高に輝くことを願っている。その思いは、彼らの顔の輝き(Spark)に表れている」

私たちの教室でも

私たち講師も、仕事柄、演奏の粗を見つけなければならない場面が多々あります。しかし、ただ間違いを探す審査員として座っているだけでは、よい音楽は生まれません。

ザンダー氏は、聴き手を単なる観客ではなく、演奏の不可欠なパートナーだと捉えています。私たちがどのように聴くかが、その場で生まれる音楽の質を変えてしまう。 そのことを忘れずに、生徒が差し出す音の最高の受け取り手であれたらと思います。

これを読んでいるあなたも、今日から誰かの演奏を聴くとき、少しだけ「自分はどういう存在としてここに居るか」を意識してみてはいかがでしょうか。


ザンダー氏のエピソードは下の動画から聞けます。:


2025/12/27

2025年 クリスマス会

音の木音楽教室の名古屋池下教室にて、昨年に引き続き、日本では二回目となるクリスマス会を行いました。子どもの部と大人の部の二部構成で、総勢30名の生徒さんにご参加いただき、賑やかで温かい時間となりました。

子どもの部では、昨年好評だったキリスト生誕の物語(Nativity)に続き、今年は「Twelve Days of Christmas(クリスマスの12日間)」に挑戦しました。今回は紙人形を使い、歌に合わせて次々と登場するキャラクターや贈り物を視覚的にも楽しめるよう工夫しました。少し長い歌詞ですが、子どもたちは人形の動きに集中し、私たちが思った以上に盛り上がるイベントとなりました。音楽を通じて海外の伝統的な文化に触れる、素敵な機会になったと感じています。

大人の部は、中学生から70代の方まで幅広い層の方々が集まりました。今回はギターの生徒さんが多かったため、特別に編曲したクリスマス・キャロルの合奏を披露していただきました。普段の個人レッスンとは異なり、仲間と息を合わせる合奏は、技術面だけでなく新しい発見も多かったはずです。また、年齢や背景の異なる生徒さん同士が音楽を通じて交流されている様子は、講師としても非常に刺激を受けました。

イギリスから日本に拠点を移し、レッスンを本格的にスタートしてから早いもので2年が経ちました。当初は、文化や環境の異なる日本で「みなさまが音楽教室に何を求めていらっしゃるのか」を模索し、手探りでのスタートでした。しかし、おかげさまで今では次第に多くのお問い合わせをいただけるようになり、少しずつこの地になじんでいく喜びを実感しております。

特に、開校初期から通ってくださっている生徒さんたちの成長には、目を見張るものがあります。技術的な向上はもちろん、音楽を楽しみ、またそれによって人生をより豊かなものにされている様子を間近で見させていただくことができ、これからも一緒に音楽ができることが楽しみでなりません。2026年も、これまでの経験を大切にしながら、皆さまと一緒に新しい挑戦を続けていきたいと考えています。

これから年末に向けて寒さが本格的になってくるようです。皆さまどうぞお体に気をつけて、心温まる年末年始をお過ごしください。






2025/12/05

クリスマス音楽から学ぶ文化教養

今年もクリスマス会を企画しています。前回の子どもの部では、イギリスの学校などでは必ず取り上げるキリスト降誕の物語(Nativity)の紙芝居を行い、クリスマスの本来の意味について触れる機会となりました。今年は「十二夜(Twelve Days of Christmas)」——クリスマスから公現祭までの12日間——をテーマに、さらに深くクリスマスの世界を探求していきたいと考えています。

さて、クリスマス会の準備を進める中で、何人かの中学生の生徒とクリスマスの曲について話をする機会がありました。「どんなクリスマスの曲を知っている?」と尋ねてみたところ、生徒が答えてくれたのは、トナカイやサンタクロースが登場する曲ばかりでした。「赤鼻のトナカイ」「ジングルベル」「サンタが町にやってくる」など、楽しくて親しみやすい曲たちです。

もちろん、これらの曲も素敵なクリスマスソングです。しかし、イギリスやヨーロッパでは普通に歌われているキャロルや讃美歌、たとえば「きよしこの夜」や「もろびとこぞりて」などについては、あまり知らないという反応が返ってきました。

もちろん生徒によって知識の差はあると思いますが、この会話から、日本におけるクリスマスの受容のされ方について考えさせられました。日本では、クリスマスは楽しいイベント、プレゼントをもらえる日、ケーキを食べる日として定着しています。サンタクロースやトナカイといった、ファンタジックで視覚的にも楽しい「お祭り」の要素が前面に出ているのです。

一方で、クリスマスの本来の意味や、その背景にある文化的・宗教的な物語については、触れる機会が少ないように感じます。クリスマスの核心を歌う讃美歌や聖歌は、意外と知られていないのが現状なのかもしれません。

ここで考えたいのは、クリスチャンであるかどうかに関わらず、クリスマスという文化的イベントを理解することの意味です。

クリスマスはヨーロッパをはじめ、世界的に最も大きな文化的イベントの一つです。日本においても、クリスマスはすでに大きな年中行事の一つとなっています。街はイルミネーションで彩られ、様々な商業施設でクリスマスイベントが開催され、多くの人々がこの時期を楽しみにしています。それほど大きなイベントであるならば、その起源や本来の意味について、少なくとも教養として知っておくことには価値があるのではないでしょうか。

日本では、クリスマスという文化イベントがあまりに商業主義に傾いているため、本来不可分である音楽が切り離されて受容されているように思えます。降誕の物語、その喜びや厳粛さを表現する讃美歌やキャロルは本来クリスマスという文化イベントと不可分なものです。ところが、トナカイやサンタクロースの曲だけが広く知られ、核心を歌う音楽はあまり知られていない。これは、文化との深い繋がりを知る機会が少ないことの表れなのかもしれません。

音楽を学ぶということ

ここでさらに深く考えてみたいのは、私たちが日々触れているピアノやギターという楽器そのものについてです。これらの楽器とそのレパートリーは、西洋で生まれ、発展してきたものです。私たちが手にしている楽譜やその記譜法のシステム、演奏している曲、そこで扱う技術は、西洋の文化や歴史、思想や宗教とは決して切り離すことができません。

音を表面的になぞることは、練習を重ねれば誰でもできるようになりますし、もしかするとコンクールやコンペティションには勝てるかもしれません。しかし、そもそも音楽は指の俊敏を競う競技などではありません。その音楽を本当に深く理解し、表現するためには、その背景にある文化、歴史、そして物語を知ることが必要です。

幅広く分厚いレパートリーを持つクリスマスの音楽は、まさにその入り口として最適な題材です。なぜこの曲が生まれたのか、どんな思いが込められているのか、どのような文脈で歌われてきたのか。そうした周辺の知識を含めた教養があってこそ、音楽は単なる音の羅列ではなく、意味を持った表現となります。

楽器を学ぶということは、技術を磨くことだけではありません。その楽器が育まれてきた文化的な土壌を理解し、豊かな背景の中に音楽を位置づけることができるようになること、その上で自分がそこにどのように関わっていくかを考えることです。それが音楽を学ぶ人間のほんとうの文化的成長ではないでしょうか。




2025/11/05

Lesson Options & Access Guide for Fukui School

Thank you for your interest in our music lessons in Fukui! We are delighted to receive inquiries from people who share a love for music.

Before we discuss lesson options, there are two important things you should know about our Fukui studio:

⏰ Lesson Schedule
In-person lessons at our Fukui studio are available every other week (bi-weekly).
This is because I travel regularly between Fukui and Nagoya. If you need more lessons, online lessons or hybrid options (explained below) work perfectly!

🗺️ How to Get to Our Fukui School
Our school is located very close to JR Miyama Station in a peaceful, natural environment surrounded by mountains. Please note: it is not in the city centre, so planning your route is very important.

🚗 By Car (Most Convenient)

Takes about 30 minutes from central Fukui City
Free parking available

🚃 By Train (Public Transport Option)

Takes about 30 minutes from JR Fukui Station.
Important: Train services are very limited (often only 1-2 trains per hour)
Please check the schedule in advance: JR West Timetable

🚌 By Bus

Local buses also stop at Miyama Station. Similar to trains, bus services are not very frequent. Please note that bus fares are generally higher than train fares for this route. Therefore, if the timetables align, the train is the more economical and recommended public transport choice.

🚲 By Bicycle (Scenic Route)

Takes about 1 hour from Fukui City (Just over 20km from Fukui Station) depending on your fitness.
Beautiful scenery with very few hills and light traffic.
Best for those who enjoy cycling and are physically comfortable with longer rides.


🎵 Flexible Lesson Options

If traveling to our studio is difficult, don't worry! We offer several flexible alternatives:

1. 🚲 Traveling Lessons (出張レッスン)

I can come to your home in Fukui city (within a reasonable distance)
Small travel fee: ¥1,000 per lesson

2. 💻 Online Lessons (Zoom/Google Meet)

Our most popular option
Available weekly for consistent practice
Learn from the comfort of your home
Best for: Maximum flexibility and regular weekly lessons

3. 🔄 Hybrid Lessons (Mix of Formats)

Combine any of the above options
Example: Online lesson one week + in-person lesson the next
Best for: Students who want both convenience and direct contact

We are happy to discuss which option works best for your schedule and location. Please feel free to ask any questions. We look forward to playing music with you!


2025/09/13

初見(サイトリーディング)能力の重要性について

サイトリーディングというのは日本語では初見という意味です。初めて見る楽譜から即座に、あるいは与えられたほんのわずかな時間内で弾けるようにすることです。

以前日本で習っていて、転勤でイギリスに来た生徒がいました。彼は曲を弾かせれば抜群にうまいのですが、初見が得意ではありません。日本で習っていたときは、初見をしたことがない、といいます。イギリスのグレード試験に初見の課題は必ず入っていますし、学校の入学試験等にも含まれていることが多いので、その生徒に「何故イギリスでは初見なんてものをしなければいけないのか?必要ないのではないか?」という質問をされたことがあります。

日本の音楽教育では、初見の能力は一般に軽んじられているのかもしれません。ですが、音楽家として生きていく上で最も重要な能力の一つだと思います。年に一度しかコンサートをしないとか、たまにひとりでしか演奏しないならともかく、誰かと「仕事で」演奏する場合には誰も譜読みする時間など待ってくれません。ひとりだけ何日も練習しなければいけないとしたら、クビになってしまうでしょう。オーケストラの年間のコンサートプログラムを見てみてください。毎コンサートでほとんど違うプログラムを弾いているはずです。各コンサートにつき、一体何回のリハーサルを取って練習することができるでしょうか。

前述の生徒は最近、某音楽大学のコースに入り、イギリスで教育を受けてきた生徒とクラスを受けていますが、みんな読譜が速いため、ついていくのが大変だといっていました。弦楽器専攻だとカルテットやオーケストラの授業がありますが、その場で即座に弾けるのが当たり前なのです。

私達の例でいえば、教室で教える仕事をしていると、私達の知っている曲ばかりを生徒がもってくるとは限りません。タイトルすら聞いたことも見たこともない曲ということもあります。そういうときに、生徒が一度弾いている間に楽譜を全部読んで、どこがポイントで何を指導するかを考えるわけです。率直に言えば、指導を行う際には、演奏能力はもちろん必要ではありますが、読譜力と音感はより大切になってきます。



2025/05/09

知っているつもりの身体、楽器が教えてくれること

私たちは日々、当たり前のように身体を使って生活しています。歩く、話す、物を取る、座る――これらの動作のほとんどは無意識に行われています。そして、何か特別な不調がなければ、「自分の身体はちゃんとコントロールできている」と思いがちです。けれども、楽器を持ったとたんに、その「つもり」が揺らぎ始めます。

「あれ? 指ってこんなに動かないんだ…」

ギターの弦を押さえようとして指が届かない。ピアノでスムーズに音階を弾こうとしても指がもつれる。管楽器では呼吸のコントロールが効かない。これらは、楽器を始めたばかりの人がよく体験する“戸惑い”です。

そして、その戸惑いこそが、実は「本当の自分の身体との出会い」なのです。

  • 「自分は指が器用だと思っていたけど、意外と力任せに動かしていたんだな」
  • 「肩にこんなに力が入っていたなんて、今まで気づかなかった」
  • 「息って、こんなに浅くしか吸っていなかったのか」

楽器を弾くことを通して、身体にかけていた“思い込み”が、ひとつひとつ剥がされていきます。そして、そのたびに私たちは自分の身体に対する新しい理解を得ることができるのです。

身体は「思い通りに動かすもの」ではなく、「感じながら生きているもの」

楽器の練習をしていると、「うまく動かない身体」に対して、つい苛立ちを覚えることがあります。指が思い通りに動かない、肩や腕がすぐに疲れる、息が続かない…。そんなとき、私たちは無意識のうちに「身体は思ったとおりに動くべきだ」と思い込んでいることに気づきます。

けれども、身体は何かの「道具」ではありません。身体は自分自身であり、私たちはその感覚とともに生きています。力の入り方、バランスの取り方、呼吸の深さ――それらを感じ取りながら、身体の動きと丁寧に付き合っていく。そうすることで、演奏だけでなく、日常のあらゆる動作にも優しさや柔らかさが生まれてきます。

「こう動け」と命令するのではなく、「今、どう感じている?」と問いかけるような関係。それが、楽器を通して見えてくる、本来の身体との向き合い方なのかもしれません。

意識の光を当てることで生まれる変化

楽器を通して身体の動きに意識を向けるようになると、日常のささいな動作にも変化が生まれます。たとえば、「歩くときに肩が上がっていた」「スマホを持つ手がいつも緊張している」「息を止めて作業していた」など、無自覚だった身体の癖が見えてくるのです。

そしてそれに気づいたとき、私たちはようやく「本当の意味で、自分の身体と出会った」と言えるのではないでしょうか。

楽器を弾くことは「自分を知るレッスン」

楽器の上達とは、単に技術を身につけることではありません。それは、自分自身を繊細に観察し、理解し、育てていくプロセスでもあります。

「自分の身体を知る」というのは、実はとても深くて奥行きのある旅です。楽器はその旅の案内役となり、私たちを「知っているつもりの自分」から、「本当に感じられる自分」へと導いてくれます。


2025/04/23

楽器から気づく「身体の使い方」

楽器を演奏していると、「身体の使い方」に自然と敏感にならざるを得ません。特にクラシックギターのような繊細な楽器では、ほんのわずかな力みや姿勢のズレが、音に大きな影響を与えます。座り方や重心の位置、指の角度ひとつで、演奏の快適さや音楽の表情が変わるのです。

最初のうちは「うまく弾けるようになること」に一生懸命になりますが、続けていくうちに、「どうすれば無理なく、効率よく身体を使って演奏できるか」を考えるようになります。呼吸や脱力、骨格の流れに沿った動き方——そういったことが、音を支え、音楽に自由をもたらしてくれるのだと感じています。

こうした身体への意識は、楽器を前にしたときだけにとどまりません。たとえば私は自転車にもよく乗るのですが、そのときにも、演奏時と同じような感覚や思考が働いているのを感じます。

長時間のライドでは、どこに余計な力が入っていないか、どうすればより楽に、スムーズにペダルを回せるかを探りながら走ります。肩や手首に無駄な緊張がないか、呼吸が止まっていないか——身体の声を聴くようになるのです。どこかに痛みが出たときも、その原因を探って改善しようとする。そのプロセスは、まるでギターを弾くときと同じです。

体幹の安定、骨で支える感覚、呼吸の大切さ——楽器を通して学んだことは、自転車に乗るときにもそのまま活かされています。そして、自転車で養われたバランス感覚やリズム感は、演奏にも良い影響を与えてくれているように感じます。

楽器と自転車。いずれも「無駄なく、自然に身体を使う」ことが求められる活動です。どちらにも共通しているのは、自分の身体に意識を向けることで、動きが洗練され、より自由になっていくという感覚です。そのプロセスは、音楽を深めるだけでなく、自分自身と向き合う時間にもなっています。

こうして身についた「身体をうまく使う」という意識は、音楽やスポーツの場面だけにとどまらず、階段をのぼる、手を伸ばす、かがむ、椅子から立つ——そんな日常的な動作の中にも生きてくるでしょう。

楽器を演奏することは、ただ音を楽しむだけでなく、身体との対話を深める素晴らしい手段です。自分の動きや感覚に繊細になることで、より豊かな音楽が生まれ、それが巡り巡って、日常にも新たな気づきをもたらしてくれるのです。

楽器を始めることは、音楽の喜びに触れると同時に、「自分の身体の使い方を見つめ直す」という、深くて豊かな旅の始まりでもあります。

2025/04/18

FAQ: まったくの初心者ですが、レッスンを受けても大丈夫でしょうか?

「初心者ですが、レッスンを受けても大丈夫でしょうか?」
こういったお問い合わせをいただくことがよくあります。
結論から言えば——全然大丈夫です。むしろ、初心者の方こそ大歓迎です。

実を言えば、まったくの初心者の方のほうが、教えやすいことも多いのです。というのも、YouTubeの動画などを参考に独学で練習しているうちに、意図せず変なクセがついてしまうことがよくあるからです。そしてそのクセを直すのに、どこから手をつけていいか分からなくなってしまうことも…。

一度身についてしまったクセを直すには、それを覚えた時間の倍以上の時間がかかるとも言われます。だからこそ、変なクセがつく前にこそ、ぜひレッスンに来てほしいと思っています。

「まだ上手く弾けないので…」という遠慮は不要です!とても慎重で真面目な方ほど、「まだ上手く弾けないのにレッスンを受けるのは気が引ける」というお気持ちをお持ちのようです。

ですが、レッスンは発表会のように成果を披露する場ではありません。方向性を確認し、軌道修正していくためのものです。「上手く弾けないからこそ来る場所」なのです。

「ある程度弾けるようになってから…」と思って練習を重ね、でも知らないうちに間違ったやり方が身についてしまって、もう修正が難しくなってしまう……ということがよくあります。そうなると、やっている曲自体を変えざるを得ません。それでは、せっかくの努力や、それに費やした時間がもったいないですよね。だからこそ、「正しい方向で練習できているか」を定期的にチェックしていくことが、とても大切です。

私自身、子どものころは周りに音楽教室がなく、長いあいだ独学で練習していました。独習する中で得られたものはたくさんありましたが、一方で、よくないフォームや弾き方が定着してしまい、それを修正するのに何年もかかったという苦い経験もあります。

だからこそ、今は「自分のところに来てくれた生徒さんには、そういった遠回りをしてほしくない」という思いでレッスンをしています。無理なく、確実に、少しずつ、正しい方向で進めることが上達への近道です。



2025/04/11

音の木音楽教室での英語の取り組み

OTONOKI Music School 音の木音楽教室では、最近、英語話者(非日本人)の方からの、ピアノ・ギター・ウクレレのお問い合わせやご入会が増えています。また、日本人の生徒の中にも、「英語でレッスンを受けたい」「英語を織り交ぜて教えてほしい」というご希望があり、それに応じたレッスンも行っています。

日本では英語学習者は非常に多いですが、学校や英会話教室で習うだけでは不十分だと感じている方も多いようです。特に学校での英語は、どうしても試験のための学習が中心になってしまい、「実際の場面で使える英語」になっているかどうか、不安に感じる方も少なくありません。これは、日本の中学・高校で英語教育を受けた方なら、多くが共感できることではないでしょうか。

日本でよく受験されている英語検定試験では、たとえば、「These days, some people buy things on the Internet.  Do you think more people will do so in the future? (最近、インターネットで買い物をする人が増えています。将来、さらに多くの人がネットショッピングをするようになると思いますか?)」、このようなトピックが出題されます。しかし、実生活の中でこうした会話を自然にする機会も、意見を求められることも、ほとんどないのではないでしょうか。こうした試験英語を続けていて、本当にコミュニケーションができるようになるのか、不安に感じる方もいるでしょう。

英語を「使えるもの」にしていくには、自分の興味がある分野から始めるのがいちばん効果的だと思います。映画が好きなら英語の映画を観る、料理に興味があるなら、英語のレシピや動画を見るところから始めるのも良い方法です。

そして、もし音楽が好きなら、音楽の中で英語にふれることができる音の木音楽教室はぴったりの場所です。私たちの教室では、英語教材も取り入れつつ、学校ではあまり触れないけれど音楽に必要な語彙を自然に身につけられる環境を整えています。

あくまでレッスンの中心は「音楽」です。英語を「勉強」として学ぶのではなく、興味の延長として自然に外国語にふれていけることを大切にしています。それは試験対策のために用意された、現実とは切り離された英語ではありません。音楽の技術や知識を身につけながら、自然と英語への抵抗感もなくなり、自信もついてくるはずです。



2025/03/28

セカンダリースクール音楽受験の準備サポート

音の木音楽教室(OTONOKI Music School)は、日本に拠点を移しましたが、今年もロンドンに住む生徒のセカンダリースクール音楽受験の準備サポートをオンラインにで行っております。

以前、教室は北部ロンドンにありましたので、主にMill Hill County High School、Ashmole Academy、The Latymer School、Dame Alice Owen's Schoolなどを受験される方々をサポートしてきました。受験準備では、アプティテュード試験や実技試験に向けた指導を行っています。

アプティテュード試験の内容は学校によって異なりますし、試験の詳細や問題が公表されていない場合もあります。しかし、試験に必要な基礎的な能力は共通しており、ソルフェージュやリズム打ちなどを通じて向上させることができます。

ただし、数回のレッスンで劇的に改善することは難しいため、直前に駆け込みでレッスンを依頼されることがありますが、その場合はお断りさせていただくこともあります。試験で完璧にこなすことや満点を取るのは簡単ではありませんが、継続的に練習を続けることで確実に向上します。また、楽器を弾くために必要な基礎的な音楽能力が向上するため、後にグレード試験を受ける際にも大いに役立ちます。

もちろん、アプティテュード試験に限らず、実技試験の方の準備も承っております。音楽受験の準備についてご興味のある方は、お気軽にご相談、ご連絡くださいませ!

お問い合わせはコチラから

2025/03/14

エレキギター・アコースティックギターの上達を妨げる落とし穴(立奏と座奏)

エレキギターやアコースティックギターは、本番では立って演奏することがありますが、普段の練習では椅子に座って弾いている人がほとんどではないでしょうか。

しかし、ライブ経験者の中には、「いつも自宅で弾いているときと感覚が違い、うまく演奏できなかった」という経験をしたことがある人もいるかもしれません。

演奏がうまくいかなかった原因として、緊張などさまざまな要素が考えられますが、「立って弾くときと座って弾くときでギターの位置や動きが変わっていないか」をチェックしてみるのも大切です。

特に、座って弾くときに、右足にギターを乗せて弾いている人は多いと思いますが、立ったときにギターの位置やネックの角度などが大きく変わってしまうことがあるので注意が必要です。

ためしに鏡に向かって構えてみて、座っているとき、立っているときで、自分の身体に対して楽器の位置がどのように違うかを比較してみてください。ボディの中心はどこにあるでしょうか?ネックはどのような角度にセットされていますか?

本番で立って演奏することを想定しているなら、もちろん普段から立って練習するのが理想です。しかし重量のある楽器を持ったまま長時間立って練習するのは負担が大きく、現実的ではありません。

そこで、座って練習するときも、できるだけ立って弾くときと同じ姿勢やギターの位置を同じにして行うことが大切です。そうすることで、本番でも違和感なく演奏しやすくなるでしょう。

姿勢やギターの位置を正しく身につけるために、ぜひ一度、音の木音楽教室のレッスンでフォームをチェックしてみませんか?あなたの演奏がさらにレベルアップするお手伝いをいたします。お問い合わせページはコチラ



2025/03/10

楽器の上達を妨げる落とし穴(姿勢と構え方の一貫性について)

楽器を始めたばかりの方、特にピアノ、ギターやウクレレを練習しているものの、なかなか上達しないと感じている方へ。意外と言及されることが少ないですが、「毎回の練習時の姿勢や構え方が異なること」が上達を妨げている可能性があります。

毎回姿勢や構え方が変わると上達しにくい

「なかなか上手くならない」と相談に来られる方を見ていると、毎回の練習で姿勢や持ち方が異なっていることが少なくありません。例えば、ギターやウクレレの場合、

  • 座る位置や姿勢がその日によって違う
  • 楽器の構え方が毎回変わる
  • ネックの角度や腕の位置が安定しない

ピアノの場合、

  • 椅子の高さが毎回違う
  • 座る位置が一定でない
  • ピアノとの距離が変わる

このように、練習のたびに身体と楽器の位置関係が変わると、指や腕の動かし方や力の入れ方も毎回変わってしまいます。その結果、せっかくの練習が効果的に積み重ならず、なかなか上達しない原因になってしまうのです。毎回、同じトレーニングをしているつもりでも、実は異なるトレーニングをしていることになります。

毎回の姿勢や構え方を一定にすることが上達への近道

楽器の演奏では、身体の動きをパターン化し、無意識でもスムーズに動けるようにすることが大切です。そのためには、まず安定した姿勢や構え方を確立し、それを習慣化することが欠かせません。毎回の練習でフォームを一定にするだけで、驚くほど上達がスムーズになります。

姿勢や構え方を安定させることで、演奏のしやすさや音の響きが大きく変わります。自分の最適なフォームを知りたい方は、音の木音楽教室のレッスンで実践的に学んでみてください!

お問い合わせページはコチラ



2025/03/08

退屈な日々に音楽を:楽器をはじめるススメ

日々の生活がなんとなく退屈だなと感じることは、誰にでもあることです。そんなとき、無理にポジティブになろうとしなくても大丈夫。ちょっとした変化や新しいことを取り入れるだけで、気分が少しずつ変わっていくかもしれません。その一つとして、音楽や楽器を始めてみるのはいかがでしょうか? ここでは、穏やかな気持ちで楽器を始めることの魅力をお伝えします。


1. 小さな楽しみを見つけるきっかけに

退屈な日々が続いていると、何かを始める気力さえ湧かないこともありますよね。でも、楽器を始めることは、そんなに大げさなことではありません。例えば、1日10分だけギターを触ってみる、ピアノで簡単なメロディーを弾いてみる。そんな小さなことから始めてみると、少しずつ日常に小さな楽しみが生まれるかもしれません。無理せず、自分のペースで進められるのが音楽の良いところです。


2. 静かな時間を過ごせる

楽器を演奏する時間は、自分だけの静かな時間を作る手段にもなります。特に退屈やモヤモヤを感じているときは、一人でゆっくりと向き合う時間が大切です。ギターやウクレレの音を鳴らしたり、ピアノの鍵盤に触れたりすることで、心が少し落ち着くこともあるでしょう。音楽は、言葉にできない気持ちを表現する手段にもなります。


3. 少しずつ上達する喜び

楽器を始めたばかりの頃は、なかなか思うように音が出なかったり、リズムが合わなかったりすることもあるかもしれません。でも、それは当たり前のこと。少しずつ練習を重ねるうちに、以前できなかったことができるようになる瞬間があります。その小さな達成感は、退屈な日々にちょっとした変化をもたらしてくれるかもしれません。焦らず、ゆっくりと進めていきましょう。


4. 新しい世界に触れる

楽器を始めると、今まで気づかなかった音楽の世界に触れることができます。例えば、知らない音楽家の曲を弾いてみたり、新しいジャンルの音楽に興味を持ったり。音楽を通じて、自分の世界が少し広がるかもしれません。無理に楽しもうとしなくても、自然と興味が湧いてくることもあります。


5. 無理しないことが大切

楽器を始めるといっても、最初から「毎日練習しなければ」「上手くなければ」と気負う必要はありません。最初はたまに気が向いたときに触ってみるだけでも十分です。大切なのは、自分が心地よいと感じるペースで続けること。音楽を楽しむうちに、自然と「もっと上手くなりたい」「この曲を弾けるようになりたい」という気持ちが湧いてくるものです。そのときには、練習が苦ではなく、むしろ楽しい時間に変わっているはずです。


わたしたちと一緒に音楽をはじめてみませんか?

もし一人で始めるのが不安だったり、もっとしっかり学びたいと思ったら、ぜひ名古屋や福井にお住まいの方は、OTONOKI音楽教室の体験レッスンに参加してみてください。名古屋は千種区池下駅近く、福井市は美山町で、経験豊富な講師が、あなたのペースに合わせて丁寧に指導します。楽器の選び方から基本的な演奏方法まで、初心者の方でも安心して始められます。

音楽は、無理せず、ゆっくりと向き合えるもの。ちょっとした変化が、退屈な日々に新しい風を吹き込むかもしれません。まずは気軽に、当教室の扉を叩いてみてください。体験レッスンにてお待ちしています!


[体験レッスンのお問い合わせはこちら]



2025/02/23

コードだけじゃない!ソロウクレレで奏でる新しい音楽体験

ウクレレを始めるとき、多くの教室ではコードを押さえて歌いながら弾くスタイルを基本に進めることが多いようです。当教室でもコード伴奏の習得は大切にしていますが、それだけに留まらず、メロディーを弾いたり、ソロ演奏を楽しんだりと、幅広いスキルを身につけることを目指しています。当教室では、海外の教材を活用し、日本はもちろん、世界にも類を見ない独自のカリキュラムを通じて、ウクレレの魅力をより深く味わえるレッスンを提供しています。

ソロウクレレとは?

ソロウクレレとは、単にコードを弾くだけでなく、メロディーやハーモニーを同時に奏でるスタイルです。これにより、歌を口ずさむことなく、楽器のみで完結することができます。ピアノのフィンガースタイルやクラシックギターの演奏をイメージすると分かりやすいかもしれません。


なぜソロウクレレ?

ソロウクレレを学ぶことで得られるメリットはたくさんあります。以下にその理由を詳しくご紹介します。

  • 一人でも楽しめる: ソロウクレレは、伴奏者がいなくても一曲を完成させられるスタイルです。自宅で一人で演奏を楽しんだり、友人や家族に披露したりするのに最適です。
  • 表現の幅が広がる: コード伴奏だけでは限られていた音楽表現が、メロディーやハーモニーを組み合わせることで格段に広がります。自分の思想感情や個性を音楽に乗せて表現できるようになります。
  • バランスよくスキルアップ: ソロウクレレを学ぶことで、コード伴奏、メロディー演奏、リズム感など、音楽の基礎をバランスよく習得できます。これにより、ウクレレの演奏技術や音楽性が総合的に向上します。

初心者でも大丈夫?

もちろんです!初心者の方でも無理なくステップアップできるよう、シンプルな曲やテクニックから始め、少しずつテクニックを身につけていきます。途中で挫折がないように、着実にステップを踏んで技術を習得していけるよう、カリキュラムを考えてあります。楽譜が読めなくても大丈夫。タブ譜と併用しながら、楽しく学べるよう指導しています。


経験者は?

すでに他教室に通われていたことがあったり、独学でウクレレを学んでいる方には、演奏の幅やレパートリーを広げるための指導を行います。ネットやYouTubeにはない情報を得られるでしょう。基礎に悩んでいる方には、本当の基礎に立ち返って学んでいただくこともできます。コード伴奏に慣れている方には、コードの知識やすでにお持ちの技術を活かしながら、メロディー演奏やソロ曲に挑戦していただき、さらに音楽表現の深みを増していきます。


生徒の声

当教室に通われている生徒からは、次のような声をいただいています。

  • 「ウクレレを弾いてみたいが、歌うことが目的ではない」
  • 「ハワイアンやポップス以外のさまざまなジャンルの曲を演奏してみたい」
  • 「ソロ演奏に挑戦して、自分の表現力を高めたい」

このような声を反映し、当教室では一人ひとりの目標に合わせたレッスンを提供しています。


お問い合わせ

ウクレレをもっと深く楽しみたい方、一歩進んだ演奏をしてみたい方、ぜひ一度体験してみませんか?名古屋市千種区と福井県福井市で教室を開講しています。お近くの教室でお待ちしています!遠方の方はもちろんオンラインでも可能です。

お問い合わせはこちら:https://otonoki.net/contact/



2025/02/21

ギターの簡単なコード、難しいコード

「コード」と一言で言っても、押さえやすいものから難しいものまでさまざまな種類があります。一般に、開放弦を含むコードは「オープンコード」と呼ばれ、比較的簡単だとされています。

しかし、コードは単体で押さえるだけならそれほど難しくなくても、曲の進行の中で弾くと難しく感じることがあります。音楽は通常、単一のコードだけで成り立っているわけではなく、必ずコードチェンジの瞬間が出てきます。そのため、「あるコードを押さえられるようになること」と同時に、「別のコードへどうスムーズに移行するか」を考える必要があります。

スムーズなコードチェンジのためには、押さえ方や手の形、さらにはギターの持ち方を工夫する必要が出てくることがあります。まったく同じ押さえ方のコードでも、前後のコードによって別の運指が当てられることもあります。しかし、このあたりの細かいポイントは、教則本などではあまり詳しく説明されていないようです。

*Gメジャーのコードの2種類の押さえ方。どちらを使うかは前後のコードによります。

オープンコードのように一般的に簡単だと思われがちなコードでも、実際にはコード進行の中での組み合わせによって難易度が変わります。単体では問題なく押さえられるコードでも、前後のコードとのつながりによっては意外と難しく感じることもあるのです。

「簡単なコード」「難しいコード」と一口に言っても、それは単体で見た場合の話であり、実際の演奏ではコードチェンジのしやすさが大きく関係します。そのため、初心者の方はコードを覚えるだけでなく、どの指をどのように動かせば、あるいはどの指を「動かさなければ」、スムーズにチェンジできるのかを意識しながら練習すると、より実践的な演奏力が身につきます。

コード進行の中での指の動きをスムーズにするコツや練習方法についても、レッスンで丁寧に指導していますので、興味のある方はぜひお気軽にご相談くださいませ。